約1年前に買ってた本ですがようやく読み終わりました。
★NHKドラマ 連続テレビ小説「マッサン」のメインテーマ購入して更に関連本も購入(2019年02月11日 (月曜日))
の時に購入したものです。

ニッカウヰスキー創業者 竹鶴さんのウイスキーと私のキンドル版です。ちょくちょく読んでたけど他のも読んだりしてたからだいぶ時間かかったな・・・・もっと読書時間を増やしたいもんだが・・・・
読んでてメモした部分抜粋
「今、英国以外の国でスコッチ・スタイル(Scotch Style)のウイスキーができるのは日本だけで、私はそのウイスキーづくりを最初に英国に行って学んで来た男である。履歴といえばたったこれだけだが、これだけの事で50年以上もかかっており、まだこれで満足というところまで到達していない」
これだけ時間がかかる事業を当時の会社がよく許したな・・・・更にいえばサントリーの鳥居さんもだけど・・・・・
「"竹鶴"は私の姓でであるとともに竹鶴という名の酒を私の家からだしていた。酒の名前と蔵元の名前が同じというのは、数多い全国の酒屋の中で竹鶴ただ一つであった。祖母の話によると、明治維新で姓を受けるとき役場が酒の名と気付かないで本名にしてしまったからだそうである」
そうなのか。
鼻を大けがしてから人が感じないにおいを感じるようになり、後の酒の芳香を人一倍感じるようになったという。人生は不思議なものだという話も。
「英国のヒューム副首相が来日した時、「五十年前、頭のよい日本の青年がやってきて、1本の万年筆とノートで、英国のドル箱のウイスキー作りを盗んでいった」と池田(当時の池田首相)さんにいった話は一時有名になった」
ドラマ マッサンでもこんな話あったよね、最初と最後に。
「ウイスキーもそうだが、よい酒をつくるためには、規模や設備では解決できないものがある。熟成をじっくり辛抱して待つ精神や気質がないと決してよいものはできない。というのが私の酒づくりの哲学のひとつであるが、それをあとになって知ることができたという意味ではカリフォルニア・ワインの勉強は役立ったといえる」
スコットランドに行く途中にアメリカにも寄ってるんですよね。
「第1次世界大戦のさなかでアメリカはドイツ潜水艦にやられながら兵隊や物資をヨーロッパの連合国に送るのにやっきになっていた時だけに、一外国人のパスポートなどかまっておられないのが実情だったのだろう。これを見ていた下宿先の親父さんは面白いアメリカ人であったが私をつかまえて「大統領のウィルソンに電報で文句をいえ」と入れ知恵してくれた。そんなことができるのかとびっくりしたが彼は「大丈夫だ、やってみろ」という。そこで私は半信半疑ながら大統領宛に「なぜ私のパスポート査証しないのか?イギリスに行けなくて困っている」という電報を打った。すると驚いた事にその翌日、移民局に呼び出され、ビザと乗船の手続きがその場で済んでしまった。アメリカはなんと面白い国だろうかとつくづく感心した」
「ハイランドがモルト・ウイスキー(Malt Whisky)の主産地であるのに反し、ローランド地方は、能率のよいグレーン・ウイスキー(Grain Whisky)の主産地となっている」
「このほかにも、このグランド氏の実地体験主義の勉強で、私は蒸留機をたたいて、その反響音で蒸溜の具合や進み方がわかるようになるなど、今までの学問の世界とは全く反対な経験とカンを養う事ができた」
「習った事、見た事、感じたことなどはどんな事でもその日のうちに、ノートに字と絵で書き留めていった」
「夜、うとうとしているあいだに涙が出ていて、朝、気がつくと、まくらがグッショリ濡れている。そして日本に帰った夢をよく見た。ロンドンから横浜まで、五十日余りかかって日本にやっと帰り着く。母が出てきて「イギリスでの勉強は終わったのか」と私に質問する。返事ができないでいると「そんなことでどうします。すぐに引き返しなさい」としかられる。帰るといっても船がない。どうしようと困って目が覚めるという筋書きで、この夢の繰り返しであった」
「こんなに苦労して勉強して帰っても、結局日本にはウイスキーづくりのよい環境はないのではないかという焦燥と不安、それにできるだけ早くウイスキー作りの技術を取得しなければならないという責任感が、ホームシックと重なり合って私は声を出して思い切り泣いた。北海の夜の空にはオーロラが美しく冷たく輝いていた。」

「竹鶴は明治生まれの日本男児だ、それが自伝にわざわざ書くというのは本当に苦しかったからじゃ」
漫画 バーテンダーでもこのくだりの説明ありましたな・・・・バーテンダーのこの巻でもいろいろなところでこの本から引用しています。
「ウイスキーの事を知れば知る程、ウイスキーには風土や気候、水等の条件が絶対である事。いや風土そのものがウイスキーを作るというこの地方の思想が次第に分かり始めてきていた」
「ただ、工場を作る場所についてはウイスキーには北海道が一番適しています、とすすめたが、工場を皆さんに見てもらえないような商品はこれからは大きくなりまへん。大阪から近い所にどうしても建てないのや。といって聞かれなかった。鳥居さんの商品を育てるカンと努力は先天的なものがあったが、この時もその好例であろう」
「当時の酒税はできた酒に税をかける造石税制度になっていた。ところが日本酒と違ってウイスキーは原酒を樽に入れて何年も熟成させないと商品にならない。原酒は樽の細かい木目を通じて外の空気とまじりあいながら十年間で半分近く蒸発し、よい原酒に生まれ変わるのである。だから蒸溜を終わって樽詰めしたものにすぐ課税されてはその後の欠減と商品として売り出すまでの何年もの金利をいれると、ウイスキー企業は全く成り立たないのである」
なんでもかんでも最初に始めるというのは大変ですね。当時の酒税はウイスキー製造には向かない税制、それをいろいろかけあって改善したお話が書いてありました。
「科学者と科学者の魂が触れあう時こそ、夕日を一杯に吸って赤くなった静かな海のような心のやすらぎを覚える物である」
「ところが、古い物に新しい物、例えば十年ぐらいの熟成した原酒に五年前後の比較的新しい物をブレンドすると、新しいものが古い物に同化して美味いウイスキーができる。しかしその時は新しいモルトしかなかったのである」
「当時の税法では三級ウイスキーは原酒が5%医科、0%まで入ってるもの、と規定してあった。0%とはウイスキー原酒が一滴が入っていなくても、税金を納めていればウイスキーとして売ってよいとの事である。しかも原酒ゼロのウイスキーが大部分であり、ウイスキーとは名ばかりであった」
x級とか今となってはわけのわからない制度ですな・・・・・
「叔母の遺産の時はその一部で余市に幼稚園を作った。これはリタ幼稚園といって今でも続いている」
★ニッカウヰスキーとリタ幼稚園の歴史│余市の幼稚園│リタ幼稚園
すげぇなぁ・・・・
「その結果、私は二つの結論を出した。一つは原酒を許されたギリギリいっぱいの線まで入れよう、それもできるだけ古い、よいものを使えば10%以下と制限されている二級の場合でも、9.9%入れても普通の物を15%入れたぐらいのうまさになる。貯蔵された起源が全くないから、古い原酒を使ってよいものをつくればよい。もう一つは日本のウイスキーは原酒と中性スピリッツのブレンドであるが、この中性スピリッツを、スコッチと同じように穀類からつくるスピリッツ、つまりグレーン・スピリッツを使えば今までないソフトなウイスキーが出来る、そして品質の向上を図るということであった。そのためにはカフェ式蒸留機を導入しなければならなかった」
制限され、市場から求められているのが竹鶴さんが望んだものではないにしても、限りなく本物を味わって欲しい、そんな気持ちがわかりますな・・・・・
「北の余市のモルト(原酒)はハイランド・タイプであり、南の仙台工場で育っているモルト(原酒)はローランド・タイプである。この両者をブレンドすると、さらに美味いウイスキーが出来るのである」
「ハイランドタイプのモルトを作る北海道工場、ローランドタイプのモルトを作る仙台工場、それにカフェ・グレーンモルトを作る西宮工場を持つ事などは資金だけではなく、限られた残りの人生から見ても、全く夢であった。三百数十年の歴史を持つスコットランドでも、三つのタイプの工場を作った企業も人もいないはずである。」
とにかくスゴイね。今も余市タイプの奴ってイギリスにもないんだっけ?
「英国の新聞が報じたニッカの脅威。昭和44年(1969年)の7月12日、イギリスのThe Daily Expressは「日本、スコッチ市場に侵入」という見出しで大きな記事を掲載した。これはニューヨーク駐在記者達がニューヨークタイムスに載ったニッカの広告を見て、ニッカとは一体どんな味がするのか、我々は町で1本、58シリング4ペンス払って、ニッカとスコッチの最高級もの2本、計3本を買ってかえり、新聞社でブラインドテストをしてみた。その結果、これが日本製だろうとみんなが指摘したウイスキーは悲しいことにスコッチでも最高の12年ものだった。」
この頃からハイレベルなウイスキーを提供していたのか・・・・・
「ウイスキーの水割りには氷を入れてもいいが、あんまり冷やしすぎては駄目だ。ビールでもあんまり冷やしすぎたのでは味が落ちるように、ウイスキーにも適温というのがある。ビールと同じ、摂氏8、9度が適温である。水割りの水は何といっても井戸の水がいい。そうした意味からいえばオンザロックはあまり関心しない。あんまり冷やしてはせっかくの香りが消えてしまう。」
今ではビールはキンキンに冷えてやがる!ぐらいが美味しい感じに思えてしまいますがやはり適温はありますよね。個人的にはキンキンに冷えたのが好きですが、味わいたい時はそれなりの温度で。
ウイスキー、オンザロックもよくやりましたが今は氷入れない水割りの飲み方も多いかな・・・・
「飲み方について、もう一ついうと、楽しみながら"時間をかけて飲む"という事だ。つまりチビチビ長く飲む事。日本人は、どうもせっかちで、早く酔っ払う傾向が強い。これは間違いで、ウイスキーは酔っ払うためにあるのではない。楽しむために飲むものだ。楽しんでいるうちに自然に酔ってくる・・・そんな飲み方をぜひしてもらいたい」
個人的には同感。だから昨今のストロングゼロ系のは私もそこまでは飲まない・・・・でもこういう傾向があるという事はストロングゼロ系がヒットするのもわかるかな・・・・
「その点、フランス人には感心する。ゆっくりと時間をかけて食事や酒を楽しんでいる。心からエンジョイするのである。楽しみは出来だけ長く・・・・それが人生を幸せにする方法であるといえよう」
本来はこういうのが豊かな生活、といえるのでしょうね・・・・東京というか今の私の生活じゃ無理じゃな。
「日本の場合にも、最初は喉が渇いているからビールを飲む。刺身が出てきてから日本酒の飲む。食事の終わりかけにウイスキーを飲む、こうした飲み方も悪くないと思う。私がウイスキー一途といっても、酒はウイスキー以外は飲まないかというと、そんな事はない。喉が乾いている時のビールは美味いし、フランス料理にはワイン、日本料理の時には日本酒を飲むことがある。今の流行語でいうTPO(時、所、場合)で飲み分け、楽しむのが酒だと思っている。」
まあ好きなように飲めばよい、と。
この本を見ているとやはり最初にも書いた
★漫画 バーテンダー 16巻「竹鶴・リタの物語」(2010年03月08日 (月曜日))
を思い出す。最初の
★バーテンダー 16 - 城アラキ, 長友健篩 - Google ブックス

「敗北とはただ負けるという意味ではない。負けた上に逃げるのだ。だから逃げる方向はどうしても「北」でなければならなかった」いいよね。
最近はGoogleで漫画のセリフも検索できるのね・・・・・
NHKのドラマ マッサン
★NHK連続テレビ小説「マッサン」第1回「鬼の目にも涙」見てニッカウヰスキー余市蒸留所の思い出とか(2014年09月29日 (月曜日))
★NHK連続テレビ小説「マッサン」第150回(最終回)「人生は冒険旅行」感動したわぁ(2015年03月28日 (土曜日))
も面白かったが現実は更に面白い。今の知識を踏まえてまた
★小樽経由でニッカウイスキー余市工場行って昆布温泉 鯉川温泉旅館へ(2004年11月14日 (日曜日))
★千歳鶴 酒ミュージアム行ってニッカウヰスキー北海道工場余市蒸留所へ行ったり(2009年11月23日 (月曜日))

★ニセコの源泉掛け流し温泉 甘露の森に行ったり余市経由で帰ったり(2010年11月14日 (日曜日))

とまあ今まで3回行ってる
★余市蒸溜所 | NIKKA WHISKY
にまた行きたいものです。ドラマ マッサンのブームも流石に終わってるよね・・・・?
この本は酒飲みにはお薦め、ウイスキーがより美味しくなる。