フランスも日本も急激な成長の時代は終わった国であります。それでいてもフランスはまあ移民とかで問題は抱えつつもよくやっているようにも見える、と。
COURRiER Japon (クーリエ ジャポン) 2011年 01月号 [雑誌]
今回の特集は「低成長でもこれほど豊か フランス人はなぜ幸せなのか」というお話。所得の再分配という所ではフランスとか欧州は日本より遙かに良さそうね。それは数値の上でも出ているようで。
フランスは日本やアメリカと比べるとかなり大きな政府でございます。
ブルジョワ家庭、一般家庭、脱成長ライフ、エリートコースを歩む学生とアラサー独身女子の生活などが掲載されていますがなんというか仕事に対する考え方がまったく違うわな。あとは本当、本質ついている部分もあるというか若者だといろいろな服を着たい場合はみんなでいろいろな服を買ってそれを貸し借りしたり所有って事にあんま執着していないっぽい。というかそれは今の日本でもそうですわね。
若手はどこの国も相当、工夫するようになっているのかね?
★お金がなくても平気なフランス人 お金があっても不安な日本人(2008年04月23日 (水曜日))
このあたりの話を思い出しました。
いい話もありますがフランス版ロストジェネレーションの方々の話も。2年以上仕事が見つからなかったりやはりどこも若者は大変なようです。
高出生率の秘密も・・・あまり書けないけど確かに出生率高くなる理由がわかるような気がするw
フランスの食卓の写真と話も。フランスにおいてジュースは朝の飲み物であり昼以降にジュースが食卓に登場する事はない。食事と一緒に取る飲み物はアルコールか水が基本だという。
いいですね、アルコールが基本とは!
フランスの話とは別の記事でロシアのサハリン(樺太)の話もありました。「「日本人のおかげで生き延びられた・・」ロシア誌がたどるサハリン戦後秘話と。
真岡郵便局の電話交換手の女性が集団自決したのは有名な話ですがソ連兵を恐れておりましたしどこの戦勝国もやっていた?島で略奪の限りを尽くしました。戦利品は食料から自動車、家屋まで及びましたが兵士達がもっとも興味を示したのは毛皮獣飼育所とウオッカの生産工場だったという。こういうご時世でも酒(ウォッカ)が飲みたいなんてロシアの方は本当に酒飲みですね。
歴史学者によると終戦直後の数ヶ月は日本人とロシア人が仲良く共生するというユニークな状況であったという。当時日本であった台湾とはちょっと違いますが
★台湾 台北へ旅行に 3日目「自由行動で台北市内観光とか飯食ったり歴史を勉強したり買い物したり」(2010年04月18日 (日曜日))
の時聞いた話となんか似たような感覚を覚えました。
日本人とロシア人が恋に落ちることも珍しくなく、当局が危険の伝染病として取り締まっていたという。ちょっと前にも日本の高齢女性の方からサハリンの公文書館に「かつての恋人を探して欲しい」と照会があったという。
で、ソ連が占領した後、本土からどんどん人が来るわけですがまだ日本人を送還し終わっていないので日本人が暮らしている家で同居させられたという。日本人一家が日本本土に送還されてからその家はソ連人の物になったと。
移住してきたのは炭鉱労働者や農民、漁師ですがこの周辺の海の漁はカスピ海等とは違う。という事で日本人が指導にあたっていたそうです。両国の家族が一緒に住む、というのもよくあった話。
日本人一家が食料品や生活用品の一切を譲ってくれたおかげで家族全員命を繋ぐことが出来た、という人も。
引き揚げが完了した正確な日付を示す物がラジオ。1049年1月1日、地元ラジオ局は日本語放送をやめたという。それまでは日本語とロシア語の二ヶ国放送だったそうで。
その当時は経済は日本人頼みで引き揚げ事業が始まり大きな打撃を受けたという。日本人の技術者を引き留めようと企業のトップが再三、手を尽くし引き揚げを妨害したりもして州委員会に叱責された工場長も居たと。
ソ連の真領土からは同じくアイヌ人も退去させられました。本来は先住民族ですが日本人と間違われたのも無理がなかったという事で。
1951年のサンフランシスコ平和条約で日本は千島列島と南樺太は放棄しているのですがソ連はこの条約に調印していないため、本当であれば南樺太も帰属は国際法上は未確定、と日本政府はしております。
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