地域再生震災が問う 安心への備えどこまで 集団移住、先人の教訓「十津川」: YUU MEDIA TOWN@Blog

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2011年09月28日 (水曜日)

地域再生震災が問う 安心への備えどこまで 集団移住、先人の教訓「十津川」

本日日経朝刊の記事です。奈良県吉野郡十津川村は122年前(明治22年 1889年)の夏に豪雨(十津川大水害)に襲われ「山津波」と呼ばれる土砂崩れを1000箇所で起こしました。死者168人、村人の2割にあたる約3000人が家や田畑を失い路頭に迷いました。

この苦境から2489人が北海道に移住して築いたのが新十津川村。北海道って新がつく地名が多いわけですがこういう何かしらの理由で村ごと移住とかの所も多かったりするんですよね。それが新十津川だったのか。

新十津川町は十津川村を母村と呼んで交流を深めてきました。町長は「十津川大水害もやはり100年に一度起こるのか」と母村を案じます。

十津川村の集団移住、被災後わずか2ヶ月で2500人近くが北海道へ向かうスピード移住でしたがそれを可能にしたのは一つに政府の厚い支援がありました。十津川郷土は古来より朝廷に忠勤をつくしており、幕末には勤皇派として官軍に貢献。政府の信頼も厚く、移住比の大半を政府が支援したという。

リーダーシップを持っていた人間が居たのも早急に移住出来た理由のようで。

鍵を握るのは指導力、経済支援か。それは今も昔も変わらない、と。

集団移住の歴史は古く、三重県鳥羽市に「高台に集団移住した国内最古の例」があるという。伊勢神宮に献上する熨斗あわびで知られる国崎町で約1万人が犠牲になったといわれる1498年の大津波の後、海辺から高台に移ったという。

ここでは500年経った今も海辺に家はほとんどなく「この辺りでは津波の教訓から家は高台に建てるのがしきたりで、漁師も高台から浜に通うのが普通になっている」と。

しきたりを守っている所がある一方で、そういったものを守らない所もある。今回の震災でこれだけ被害を受けたのだから居住地はせめて高台に、と思いたいところですがそうもいかないのでしょう。という事で政府の支援と強力なリーダーシップを持った人が必要って記事なのかな?

十津川村、いい温泉があるところですし早く復旧して欲しいですね。

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Posted by 封神龍(酒) at 2011年09月28日 20:45 | トらックバック | 【所属カテゴリ: 北海道】【コメントについて】【トラッくバックについて】【RSS登録についてRSS登録

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