発売日には購入していたのですがようやく読みました。
倉下忠憲さんの「すべてはノートからはじまる あなたの人生をひらく記録術 (星海社 e-SHINSHO) Kindle版」です。
その中で備忘録のメモ。
「こちらの本の「ノートの定義」は「書きため、記録を残し、情報を後から使えるようにする事。そのような性質を持つ道具全てがノートです。」
例えば紙のノート帳、レポート用紙、手帳、家計簿、日記、情報カード、パソコン、スマホ、書籍、論文、ブログ、グループウェア、SNS、Wiki等」
紙のノートだけではなくデジタル的なのもノートに定義されると、ただ紙のノートが優れている点が続々と出てきてそれは納得出来ました。
少し前に
★Amazonで「スマホ脳(新潮新書) Kindle版」をダウンロード購入して読み終えた(2021年11月02日 (火曜日))
★News Diet(ニュースダイエット)(情報があふれる世界でよりよく生きる方法)を読んで(2021年08月10日 (火曜日))
★【情報入手の断捨離】新聞やテレビ、インターネット、スマホでの情報過多の時代に取捨選択の重要性を感じる(2021年08月10日 (火曜日))
を読んでいたらより理解しやすい部分もあったかな?デジタルな部分というよりアナログな部分、これだけデジタルに囲まれたのは数十年の事で数千年単位では本当に一部、野生の本能的に人間がついていけない部分がある的な話を読むと、ノートの話は凄くしっくり来ました。
「補完しあう脳とノート」
「記録が私達の記憶と補完的な関係にある点が重要です。別の言い方をすれば、記憶とは違った機能を持っているからこそ、両者は調和を持って機能します。」
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「ノートという外部記録を併用することで、自分の記憶を含む知性全体に変化が期待出来るのです。そう考えれば、大切なのはノートではなく、「自分のノート」(自分の脳と結びついたノート)」を作る事だといえるでしょう。」
「ノートを不真面目に使う」
「・ノート法の通りにしなくていい、省略していい、アレンジしていい
・ノートを続けなくて良い、途中で止まっても気にしない」
「自分の情報環境を作る」
「自分が使うノートや日記やその他のツールに、どんな情報を書きためていくのかを決める事は、自分が目にする情報を自分で制御することを意味します。自分の情報環境を、自分で構築すること・・・それは「自分」を作っている事に等しいといえるでしょう。」
まずはやる事、ですよね。
「意を決する方法」
「人間は、何かを決めないと行動に移せません。行動より先に決定があります。よって、大切なのは決める事です。正しいかどうか分からないから決められない、どいうのではどんな行動も起こせません。行動が起こせなければ、それが正しいのかどうかも判断できないわけですから堂々巡りです。そこから抜け出す事は敵いません。ですので、完全完璧な合理判断ではなくても、客観的に正しいと言い切れなくても、とりあえず決めてしまう事です。決めた後に、更に検討すればいいのです」
とにかく一歩を踏み出す事ですよね。
「自由に書く」
「ちなみに「何も書くことがないよ」と思ったら、何も書くことがない、と書きましょう。自分の心に浮かんでいる言葉をそのまま書き続ければよいのです。すると、書かれた言葉がまるで呼び水のように働き、次から次へと思いや考えが表に出てきます。書き出すことで、湧き出すのです。」
これもそうやね。とにかく書いて形にする事。
「決意を書き残しておく意義」
「そのような現象は、私達の習慣の強さから考えればごく自然な結果です。習慣の力が強大であればあるほど、新しい行動をそこに潜り込ませるのは難しくなります。新しい行動がうまくいかないのは習慣の力が強すぎるからです」
わかる。
「まとめ」
「まず大切なのは頭の中だけで考えない事です。書くことを通して、つまり記録を残すことを通して考える事で、自分の思考領域をより広く使えるようになります。また書きためた記録は、その後にも利用可能になります。計画の修正も、再検討も、リスタートも、記録というデータがあってこそです」
後で書きますがライフログ、的な話を聞けたのは私が今のブログを続けている理由とも思う。とにかくデータを取ること。公開出来ないものに関しては自分だけが見られるアナログなノートやデジタル環境を用意する。テキストでも画像でもなんでもとにかく外に出す事が必要。
「準備の次の実行」
「だからもし管理が行動を阻害しているならば、それは管理が失敗していることを意味します。例えば上司が怒鳴り散らして部下の意欲を削いでいるとしたら、その部下が「できない」社員なのではなく、その上司が管理の「できない」マネージャーなのです。後々出てきますが、この上司と部下の関係は、自分自身が行う管理においても顔を出します。つまり、「管理あるある」話なのです。」
よくある話ですよね。これ読んで何も感じないなら管理職は辞めた方がいいと思う。
「リストを閉じる意味」
「このやり方をしても「やること」の全体が減るわけではありません。単に、区切り(あるいは仕切り)を入れているだけです。しかし、今問題にしているのは「心」でした。つまり、感覚です。そうした区切りを入れる事で、広すぎて全体像が掴めない対象が小さく分割され、感覚としてそこに全体像が生まれてきます。その感覚が行動のためには大切なのです。このような区切りを発生させる操作を「有限化」(ないしは文節化)と呼びます。元々人間の認知からすると無限に近い(つまり一覧の限界を超えている)情報を扱えてしまうデジタルツールにおいては、有限化を意識して運用するのは重要なポイントです。」
デジタルでは制限がほぼない、紙のノートなら書く所がなくなったら次へ、という物理的に次のステージへ進める、デジタルだとそれが難しい。
「管理しすぎてはいけない」
「継続していくためには他の人の方法ではなく、「自分の方法」を確立することが欠かせません。それも、確かな方法を頭の中で組み立ててからスタートする感覚ではなく、他の人のノウハウを参考にしながら、それをアレンジしたり、改造したり換骨奪胎したりして、自分で作って行く感覚を持つです。方法自体のコントロール感。それが新しい方法(習慣にない方法)を続けて行くには必要です」
今では公開できる事はブログに、仕事関係はグループウェアに、個人的な事に対しては時々ノートとかメモ帳で入れていたのですが、もう少し私的な事をノートに書き出すようにしていこうかな・・・・・
「デジタルノートを使う場合は有限化を意識する必要がありますが、アナログノートの場合、そもそもできることが限られているのではじめから有限化がなされているといえます。複雑にしようがないのです。よくゲームの導入に「チュートリアル」が準備されていて、底では可能な行為が限定されているがゆえに1つ1つの操作に集中して練習できるようになっています。その意味で、アナログノートは「ノートのチュートリアル」と呼べるかもしれません。アナログノートは書けば書くほどページが進みますし、一冊書き終えたら物理的な移動が生じます。つまり、進捗感が得られやすいのです」
物理的に制限がある物だからこそ、ですね・・・・・
「まとめ」
「総じていえば、前に進んでいくためにはフィードバックが重要であり、そのためには異なる二者が、つまりフィードバックを与える存在とフィードバックをもらう存在が必要となります。言い換えれば「自分」ひとりだけではフィードバックは発生しません。その意味で、ノートは「もう一人の自分」を作ってくれます。自分であって自分でない存在、そんな「他者」を作り出す事が出来るのです。この特徴は物事を考えていく上でも・・堅苦しく言えば思索を進めていく上でも役に立ちます」
第三者的な視点が必要なのですよね。
「思うと考える」
「人間は無自覚に情報処理を行っておりそれが「思う」を発生させ、「考える」のは意識的にその情報処理を促す、そして「思う」と「考える」の二つを含むのが「思考」という活動です」
「考えるために静かな場所を持つ」
「情報が不断に流れ込んでくるソーシャルメディアは不断に情報を処理する私達の脳と好相性なツールであり、ゆっくりと思考することにおいては極めて不向きな環境だといえます。「考える」ためには、不要な刺激が少ない静かな環境が必要です。」
このご時世、これが本当重要だと思う。スマホやSNSで常に情報が流れてきて、ゆっくり思考する場がない。そういう場所を作れる状況にするのも、いい手かなぁと。
「自分のブログがどう役立つか」
「私は十年以上ブログを続けており、、その中で様々な事を書いてきました。エッセイや雑文も多いですが、技術系やノウハウの話もたくさんあります。そうした中、何かの手順を忘れてしまい、Googleで検索した結果のトップに表示された記事が、過去の自分が書いた記事だったとき、実に不思議な気分になります。他の人に役立つかも知れないと思って書いた記事が、巡り巡って未来の自分の役に立ったからです。逆に、他の人は必要としないだろうけども自分の備忘録として書いた記事が、「役に立ちました」と後から他の人に言ってもらえる事もあります。これもまた不思議な経験です。」
「つまり「自分にブログ」を書くことは、自分のためでもあり、他人のためでもある、という不思議な重なり合いを持ちます。」
「また、他人が読む事を意識するあまり、「こういうことは書かない方がよいのではないか?」という気持ちが強くなる問題もあります。その気持ちは配慮が行き届いたコンテンツを生み出すのに役立ちますが、1人の日記ならば存分に吐露できてた思いが書き出せなくなるのは良い事ではありません。他の人と共有するためのノートを持ちつつ、しかし「自分だけのノート」も確保しておくのが、インターネット社会である現代の1つのコツになるでしょう。」
「まとめ」
「これまで自分のために書いていたノートを、他の人向けても書く行為について紹介しました。単に他の人のために書くのではなく、自分のためのノートを他の人も利用出来るように書くことが一番のポイントです。」
「ビッグデータの中に自分はいない」
「つまり、現代では情報がたくさんあることそのものが問題ではなく、むしろ流れ込んでくるたくさんの情報が私達の注意を引きつけ、固定してしまうことが問題なのです。そうした状況では、注意深く目を向けていないと見えてこないものは、すべて見落としてしまいます。まるで自分自身がビッグデータを処理するアルゴリズムになったようなものです。ノートを書くことはそうした状況を変えます。自分の注意の矛先を、変化させられるのです」
「注意の防波堤を築く」
「遙か昔は望まなくてもそうした環境しかありませんでしたが、現代ではむしろ意識的に作らない限りそうした環境は得がたくなっています。静かに考えるための場所が減り、自分について理解するための情報がどんどん得がたくなっているのです。当然、ビジョンを描く事も難しいでしょう」
「コラム 長年続けているブログで見えてくること」
「私は十五年以上ブログを更新していますが、それらの記事を眺めていると、「ああ、自分はこういうものに興味を持つ人間なのだな」という興味の遍歴を見出す事が出来ます。その情報は、どの新聞にも、どのWikiにも載っていません。しかし、私はそのような遍歴を見出すつもりでブログを書いてきたのではありません。ここに「書いた自分」と「それを読み返す自分」の中で誤配が生じています。」
マジで読み返していると過去の自分の書いた事、忘れていた事や、本当にこれ自分が書いたのか?というエントリに出くわすことも。ぶっちゃけ人間、記憶というのは相当に曖昧なものだと思いました。
「もし形式張ったデジタルノートツールが肌に合わないならば、TwitterなどのSNSを自分のノート代わりに使う事も出来ます。秘密にしたい情報を書き込むことは出来ませんが、それでも気楽に投稿できるSNSは、ノートの練習にぴったりです。ここでもあまり堅苦しく考えずに、自分が楽に書き込めるツールを見つけるようにしましょう」
ライフログ的に何か記録はつけたい、ただブログに毎回書くのは面倒、という事でブログに投稿するほどどの気力がない時にはTwitterも私の備忘録に使っております。というよりかはネタになりそうなのをメモ的にTwitterに投稿しておいて、あとで必要であればブログでまとめる、というのが多いかな。
自分のブログ感の原点は前にも書いたけど
★「手帳ブログ」のススメ(2006年04月30日 (日曜日))
かな~。それまではいろいろ試していたけど、もう自分の為の記録に使っちゃおうと思ったのがこの本がきっかけだった気がする。
理論というか流れとしては理解しました。やはり生物は生物たる行動を取ることが目的達成の一番の近道なんやなぁ。